面白かった本~女性にまつわる本編~

前回に引き続き今回も最近読んでいて面白かった本の紹介をして行きたいと思います。今まで自分が読む本はほとんど男性作家が男性の視点から書いた小説や対談集が多かったんですが最近趣向を変えて女性視点の書き物、女性の作家の本を読むようにしています。これは個人的な気づきといいますか、思っていることなんですが
男性の書き物や男性の残した作品には、その表現に

“精神だけでどこへでも行ってしまうような勢いがある。”

対して女性の表現には、いやらしい意味などはありませんが

“どうしても断ち切れない肉体的表現がついてまわる。”

というのか、その根底がやはり違うことからきているところがあるのでしょうが、そのあたりの違いが読んでいてとても興味深いと言いますと上から目線でイヤですが、その視点で見ないとわからないことも多いんだなと言いますか、もともとその視点ベースで出来上がっているのでそっちの視点から入らないとお門違いのようなところかなぁといった気づきがありました。

そういった事を考えながら読んでいてやはり男女が交わる点“恋愛”“結婚”を主題に置いた本で面白かったものを紹介したいと思います。


まず1冊目

酒井順子著 負け犬の遠吠え


細かい分類や言い訳的なものはあれど“30歳、未婚、子供なし”は負け犬と割り切って女性の結婚や恋愛における社会からの静かな圧力と対峙する女性の思うところ、都会と田舎での結婚のし易さと生活の違い、寿退社もできず会社にも恋愛市場にも取り残された働くキャリアウーマン(著者自身がそうだからというのが大きいかと)の生態などを書いた1冊。自分が読んでいて強く感じたのは

“未婚30歳越え女性という世間的に目を向けず、いないものとされているような女性たちの生態”

といった印象でした。会社にもきっといるはずの未婚で30を超えバリバリ働き、休日は自分の趣味に没頭し周りからは実際に言葉にされて言われることもないが“○○さん結婚される気ないのかしら。”くらいで扱われている女性の苦悩、生物論主義者ではありませんが、やはり雌として生まれたからには本来の役割である子供を産み次に繋げる事を果たせない事への周りからの哀れみのような目、それに対するように都会では結婚というものを包括的にみるとメリットとデメリットではデメリットが勝ってしまっており、独り身のほうが楽に暮らせるという事から来る不調和をここまで正直に、誠実に、まさに私は負け犬です。もう降参しました。と書ききれるた人が今までいただろうかと思いました。

確かに女性の書き物らしくないほどのきれいな分析、言葉の定義の仕方もまた頭一つ抜けて秀逸だなと思わされました。うーん本当にこの人女性なの?と疑問に思ってしまう書き口に衝撃を受けました。あ、そういう女性らしくないところも負け犬の素質が十分にあるからなのかなぁとも思ったり。

まとめてみると
“酒井順子さんのエッセイは普段男の子にとっては謎に包まれている女性社会、女性の思うところの貴重な証言者として男子にも読む価値がある。”

なぁと思います。後で知ったんですが一時この本はすごいブームだったそうです。ブームが過ぎても読んでない人には普段全くわからない女性の証言を垣間見れるエッセイとして今読んでもとてもタメになるのかなと思います。

最近また新刊を出されたそうです。負け犬の遠吠えを書かれた時点で達観されてるなぁという印象でしたがさらにまた歳を重ねて一体どんな領域に達したのかと気になってしまいます。男尊女子…うーんこれまたなにか360°と言わず1080°回って拗らせたようなタイトルだなぁ。自分は酒井順子さんの書き口がすごく好きなのでこの新刊も買いに行きたいと思います。


2冊目

三島由紀夫 新恋愛講座

有名な三島由紀夫の新恋愛講座。三島由紀夫の恋愛における名言みたいなものはこのエッセイから抜粋されたものが多いように思います。新恋愛講座と謳っていますが内容はよくある“モテる男になる”How to系の本とはかなり異なります。書き初めにあるのは日本的恋愛と西洋的恋愛。恋愛感も西洋化した今日の日本でも私たちはやっぱり日本人ですので西洋恋愛の特徴として代表される性欲を否定してより精神的な恋愛に傾くほどに尊い恋愛であり、それこそが愛だというような所謂プラトニックな恋愛は性欲旺盛な西洋人欧州人にとってはそういったもので以て制さなければうまく回らなかったというものから、古書から読み解く元々性欲の少ない日本人ならではの“性欲+感情”という日本人的恋愛から始まります。

自分も思っていたことなんですが
“性欲を徹底的に否定した恋愛というものはそっちの方が何か不健全よね。”

と思っていました。そういった所も血と言いますか、やはり恋愛感というものも西洋人用にカスタマイズされたプラトニックラブを日本人に当てはめて過ごすとどうにも腑に落ちないといいますか、もっと単純にコレジャナイ感を感じずにはいられないものです。

勿論そういった民俗学的話だけではなくシーン毎の登場にはなりますが会話や心情を書いたものが後半は続きます。読んでいて思った事なんですが男性は皆ロマンチストで“真実の愛”みたいなものは男性の大好物のような気がしますが、実際の恋愛においても“恋愛における誠実さ”“嘘の効能”といったものは女性の見ているものとは異なります。そういった話がいい意味で男性の幻想を一度打ち砕いてくれ、そのあとからまたもう一度恋愛を考え直させられる印象でした。

うーん書きたい事は山ほどあるのですが、まずは実際読んでみて、どうぞ。

補足的ににはなるのですが、自分が読んでいて興味をそそられたのはこの「新恋愛講座」に抱き合わせで収録されている「終わりの美学」という話。様々な“ものの終わり”をテーマに挙げ始まりと終わりを書き綴ったものです。

村下孝蔵の「踊り子」の詩にもありますが“答えを出さずにいつまでも暮らせない。”といのもやはり終わりあってのもの。この終わりの美学を読んで自分の中で未だに終わりを迎えさせられてあげられていないものに終わりを告げて一度自分を整理してみてはいかがでしょうか。と勝手に思ってしまいました。話がそれてすいません。


3冊目

斎藤環 母と娘はなぜこじれるのか

個人的な話になるのですが、一定の依存自体は誰しもみんなが持っていなければならないとは思いつつも、母と娘はなぜあんなにも依存しているように見えるのか。その関係の実態が支配という従属関係にあったとするならなぜ娘は母を振り切り、自分の生き方をとることができないのかというのが私にも姉がいまして、前々から疑問を持っていました。そんな時に出合ったのがこの1冊でした。この本は上で紹介した2冊と異なり、娘と母の従属関係、乱暴な表現になりますが「母の娘の支配」の形を精神科医の斎藤環さん(男性)が5人の女性と対談形式をとりその問題のを掘っていくといった内容です。

この本でいいなと思った点はまず「対談形式」という事。著者の斎藤環さんも男性の精神科医であり、男性がこの女性の大きな問題について考えるといった際に男性が女性のことについて言葉をしたためて文章にするのはやはり難しいものだと思いますが、男性的な第3者の視点を立てて話を直接聞いていくというスタンスなら、この問題についてそのままの姿の問題対面することで少しは糸口を掴むことが出来るのではないかと感じました。そういった意味で対談形式というのはとても良い形だったなと思いました。

読んでいて感じたことですが、母の娘の支配には様々な形がありそれが負の連鎖のような“悲劇的な支配”もあり、逆に悲劇的ではなく寧ろ外面はいいように見えるのですが蓋を開けてみると外面に今まで出てこなかった分問題が熟成され、腐敗臭漂うような関係にまで発展しており、問題が外に出てきてからではもう手が付けられなくなってしまっているようなものもありました。

その支配の根源を辿るという事で興味深い記載がありました“母と娘は子宮で繋がっているような感覚がある。”というものです。そういった感覚は男性にはないのでうーんそうかと思いました。“子離れ”“親離れ”という言葉も最近はあまりきかないなぁと思っていましたが、こういった事に繋がるといった点ではキチンと親離れする事が必要だなと感じました。

男の子は成人してからは親とほとんど連絡を取りませんが、女性はかなりの頻度で親と連絡を取り合っています。勿論それが良い形に流れればいいものの悪い形としては支配、本中では“呪詛”と書かれていましたが、女性にとっての“親離れ”とは“母からの呪詛抜き”である。というのも勉強になりました。

そんな感じの1冊でした。女性というものを知るためにも一度読まれてみてはいかかでしょうか。

最後に、これは問題にあまりされてもいませんし、目につく問題でもないと思うのですが(寧ろ目につかないからこそひどいと思うのですが)、男性の兄弟間における弟の兄への依存と言いますか、この本では母と娘でしたが、“兄と弟”の関係にもこの本が取り上げた問題によく似た従属関係があるように思います。よく見る所の

“弟が兄が進んだ道がきっと安全に違いないと思い込みついていくような姿。”

です。兄も弟も同じ道に進み兄弟そろって兄弟鷲みたいね。と誉め言葉に聞こえますが、弟自身の最も適正がある方面を兄への憧れや安心感で覆い隠してしまっているのではないかとも思います。話が余談的になってすみません。


最後まで読んでいただき嬉しいです。

誰かの参考になれば幸いです。

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